「聞いたことのない世界」は想像できるのか

この地球上では、
ものが何の助けもなく浮くことはない。
人肌が光ることもない。
空が緑になることもない。
太陽も月も一つずつしかない。

これらの「ない」を「ある」に変換すれば
「見たことのない世界」を想像することは可能でしょう。
そして、この変換は非常に簡単なのです。
なぜなら、すでに存在しているものの情報を一つ変えるだけだから。
そしてその結果は、「慣れ」の外にある新しいものとして知覚されるはずであり、
新たな体験をしたときに感じられるときに特有の「喜び」を伴います。


では、「聞いたことのない世界」の想像は同じように簡単でしょうか?

ろうそくの炎の音は聞こえない。
石の音は聞こえない。
植物の音も聞こえない。
止まっているものの音は聞こえない。

しかし、これらの「ない」を「ある」に変換することは簡単ではありません。
ここでの「ない」は、そもそもが存在していないということであり、
それを「ある」に変換するとは、存在させようとする一種の不可能な行為であるからです。


手を叩いたとき、その瞬間しか音は鳴らない。
水に石を落としたとき、ガラスの音は鳴らない。
鐘から弦の音は鳴らない。

聴覚的刺激は、ほとんど本能的に視覚的情報と結びつきます。
そのため、視覚的刺激と聴覚的刺激との矛盾や不一致を感じた場合、
それらは分離して認識されるでしょう。
そして、その結果におそらく「喜び」はなく、不一致への単なる違和感にとどまるのです。

しかしそれとは逆に、視覚的刺激を受けたときには
聴覚的情報が必ずしも誘発されるわけではないでしょう。
これは個人的な想像でしかありませんが、
そもそも、音は抽象的にしか捉えることのできないものなのかもしれません。


「聞いたことのない “音” 」は、すでに存在しえないと考えています。
なぜなら、いまやコンピュータによる人工の音で溢れており
無限にも及ぶような種類の音を聞いてきた我々は、
たとえ真に聞いたことのない音を耳にしたとしても
何らかの想像を伴ってそれを受け取ることになるはずだからです。
つまり、「○○のような音」といった具合に解釈されるということです。

では、「聞いたことのない “世界” 」、
ここでは音そのものだけでなくその周囲を含めたひとまとまりの空間、と定義しますが
これを想像しようとするときに糸口となりそうなのは
音の「ジェスチャー・ふるまい」にあると私は仮定します。
たとえば、音源となるはずの物体が存在しないのに音だけ宙に浮いていれば、
それは「新しい音」として知覚される可能性があるということです。

音そのものだけで「聞いたことのない世界」を形成するには、限界が近すぎるのです。
それを拡げるのが、「ジェスチャー」になるはずだと考えています。

 

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